祖父

 

お久しぶりです。2022年始まってとてつもないことが起こっており、ブログを書くとかの暇がありませんでした。

年明け数日後に起こったこと、それについての私の気持ちを吐露します。ただの記録。記憶。

 

 

2022年1月中旬に、母方の祖父が亡くなりました。生きていれば今月誕生日でした。

親族の中で1番好きな人です。

知らせを聞いたとき、若干キレました。教えてくれた母親が1番衝撃を受けてると思うのに。「なにを言ってるんだ?」と思いました。

その後すんなり寝れるはずもなく号泣。翌日仕事が休みだったので祖母の家に向かいました。(隣の市なのですぐ行ける)到着するとちょうど祖父が帰ってきたところでした。……寝てるやん。寝てるだけでしょ?母親曰く「じいちゃんまだ寝てると思ってるで」と。眠るように亡くなった感じで、なんなら口角も上がっていて、実にじいちゃんらしい顔でした。

母の実家には小学生の頃は夏休みと冬休みに必ず遊びに行っていました。中学生の頃には母の実家でじいちゃんと一緒に大きめの本棚を作りました。私は工作や技術が好きで、日曜大工が得意なじいちゃんに手伝ってもらいながら製作したものです。1番最初に製造業で就職したときにはすごく喜んでくれました。今は販売業ですが、販売業になったときは逆に残念がっていたので、そこは申し訳ないなぁと思った次第です。(でもその後店に覗きに来てくれました)

じいちゃんに限らず、ばあちゃんにもですが、怒られた記憶が全くなく、自由に遊ばせてもらったなぁと思います。この前お葬式後に家に行ったとき、仏壇にある過去帳を見て「確か私と弟、昔これ(過去帳)に落書きした気がする…」と思い出して見たところ裏面になんか書いておりました…。さすがに大人になった私は「昔の私なにしてんのよ!!!」と戦慄したのですが、じいちゃんであれば「裏面ならいいで」と言いそうなのです。言われた気がしないでもないのです。いかんせん大昔の話なので記憶は定かではありません。母親にこのことを言ってみると「じいちゃんは、過去の人間より今生きてる人間(孫)の方が大事や思ったんちゃう?」と。器が大きすぎるのです。そして子どもが本当に好きな人だったそうです。本当に色んなところへ付いてきてくれました。山ほど遊んでもらいました。

最近こそ、正月に夕飯を食べに行く、ぐらいしか行けていませんでしたが、それでもいつも元気なじいちゃんがいました。一緒に住んでいないので、今でも家に行けばいるんじゃないか、「おー、なっちゃん来たか」と言ってくれる気がしています。家にはじいちゃんが作った日曜大工の物であふれかえっています。

 

お葬式の前、じいちゃんの身体を洗ってもらったり、旅支度(あえてこう言います)をしてもらっているときに急に閃きました。

(旅行先で買ったお土産だが)自宅に六文銭がある。これを棺桶に入れてもらえないだろうかと。

棺桶にはリアルの硬貨は入れられないので、葬儀屋さんが六文銭を印刷した紙をじいちゃんの懐に入れてくれていたのです。ならば土産物とはいえリアル六文銭(硬貨ではない)を入れてもらおうか!と。

許可をいただいたのでお葬式のときに入れました。

じいちゃんなら言うだろうな。「それなっちゃんの物やろ。じいちゃん大丈夫やからいらんで」と。でもじいちゃんなにも言わないんだもの!!!!言ってくれないと!!!!言わんのだからじいちゃんに持って行ってもらうもんねー------!!!!!という心境でじいちゃんに渡した次第。

 

少し話は変わりますが、大泉エッセイを読み返しました。洋ちゃんもおじいさんが大好きで、そのときに書かれた文章にめちゃめちゃ共感したのです。

これは夢じゃないか

私もじいちゃんが亡くなってから数日間、「実は夢でした~ってやつじゃない?」と思うのですが、毎朝起きるたびに「夢じゃ、ないのか」と絶望していました。その期間は「じいちゃんがいない世界で夜遅くまで起きてる意味ある?」とまで思い、ここ数年ではありえないほど早い時間に寝ていました。ただただ、なにをする気にも、配信さえ見る気にもなれなかったんだろうなと今では思います。

こういう悲しい気持ちというのはやはり時間しか解決出来ないのだろうなと思います。まだ2か月も経っていませんが、亡くなったときよりだいぶ落ち着いている気がします。何故なら2月も怒涛の出来事があったからなのですが。それはまた気が向いたら。

 

本当にじいちゃんが大好きです。お盆とかこだわらなくていいからいつでも帰ってきてね。私が死んだとき、じいちゃんのいる世界の方に行ける保障はないけど、もしまた会えたらそのときは一緒になんか作ろ。ほんまにありがとう。